満州の歴史を語り継ぐ高知の会
 
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  LinkIcon 権谷せせらぎ交流館
   高知県では「満州分村」第1号となった四万十市西土佐江川崎(旧幡多郡江川崎村)の開拓団(江川崎開拓団、満州大清溝地区)の資料が展示されています。
  LinkIcon 『繰り返さないで!!-満州開拓団の悲劇-』(高知県中国帰国者の会)
  LinkIcon 満蒙開拓平和記念館 (長野県阿智村)
  LinkIcon 「満洲の記憶」研究会
 
 ■外部リンク
  LinkIcon TBS・テレビ未来遺産“終戦69年”ドラマ特別企画『遠い約束~星になったこどもたち~』
   第1回学習会でも紹介上映された番組です。
  LinkIcon 一橋大学経済研究所 社会科学統計情報研究センター「満洲」関係統計資料
  LinkIcon 国立国会図書館・満州国・満鉄に関する資料

方正友好交流の会機関紙

━━━方正友好交流の会機関紙「星火方正」会報32号
    2921年5月刊行(年2回刊行)
 
表紙裏に書かれている文章を一部加筆して掲載します。
※なぜ方正「ほうまさ」なのか。
 方正と書けば、日本人なら(ほうせい)と呼ぶのが、普通であろう。しかし黒竜江省には宝清いう県があり、旧満州にいた日本人たちは、「ほうせい」と呼ぶ場合は宝清を指した。そのために、区別するために、(ほうまさ)と呼び、いまでも宝清と区別するために、方正を音訓まじりで、あえて(ほうまさ)とよび、今でもそう呼んでいるので、会の名称を「方正(ほうまさ)友好交流の会」とした。

※なぜ「星火方正」なのか。
 方正地区に、満州開拓団民が、ソ連軍の攻撃に合いながら逃避行をして、路に多くの遺骨があった。残留日本婦人が、ひとりでこれらの遺骨を集めて、方正に埋葬していた。また周恩来首相に、これらの遺骨の公募をお願いしたら、まだ日中友好条約が結ばれない前に、中国政府の基金で、立派な公募が建設された。このことが縁で、交流の会が立ち上がった。「星火」とは、とても小さな火のことである。私たちの活動は、今は小さな野火に過ぎないが、やがて「燎原の火のように方正から平和と人類的な友愛の精神ひろまるのだ」といを込めて加愛の精神が広まるのだ」という意味を込めて会報の名前にした。
目次
滝永 登:この人にしか語りえない喜びと悲しみー引間政子さんの講演(対談)を聞いて ―
柳生 じゅん子: とても貴重な会話と記録書でした<方正へ、その方正を後にして>の引間政子さんの体験を読んでー
柳生 じゅん子: 詩 ダリア    
今村 寛明:  替え歌「ラバウル子唄」
今村 寛明:  ふたつの苗字
宮岸 清衛:  国境の街、黒河からの逃避行―中国残留孤児にならなかったボク―
飯島 春光:  中国残留日本人に孫たちと学んできた「満州」・戦争
大島 満吉:  今、振り返ってみると
崎山 ひろみ: 王希奇「一九四六」 高知展を開催するにあたって
菅原 順一:  王希奇(日本人引揚者を描く「一九四六:をめぐって、(鑑賞記)
大野 正夫:  満州の歴史を語り継ぐ高知の会について
掘 泰雄:   東日本震災から10年間を振り返って
大村 知義:  パンデミックの先へ これからの世界と日中関係のかける私の思い
大類 善啓: 『エスペラント』-分断を繋ぐ「HOMARANISMO」(ホマラニスモ (批評社)を上梓して
他、新聞、チラシ等のコピー